白夜

せかいがいちばんただしいとおもう生き方

アンチトレンド

うつくしいものをうつくしいと言うには、少しだけ勇気がいる。
好きなものを好きと言うにも、そこにはない何かを考えてしまう。

好きなものを好きと言って何が悪いの、と、前に訊かれた。
悪くない、悪くないよ、何も悪くないの。
わたしが、わたしだけが素直に言えないだけだから。


何かを好きになりそうだと思ったとき、何を一番に考える?
わたしは、周りにそれを好きな人がいないことを確かめる。
自分より熱量を向けている人がいたなら、わたしはそれを簡単に諦めてしまう。だってきっといつか、その人を憎んで嫌いになってしまうだろうから。

これってあんまり理解してもらえないんだと思う。
別に同担拒否でもない、だってわたしよりずっときちんと愛せている人はたくさんいて、それは推し(もうオタク話ってバレてるだろうしいいや)を支えてくれてるといっても過言ではないから、現地で見かけると「あ!同担だ!」っていっそ安心してしまう。でも、日常生活レベルで近しい人には同担がいてほしくない。とっても面倒なオタク。
なんで嫌かって、上に書いたように嫌いになるから。

あの子はわたしの持ってないものを持ってる
あの子はライブに行った
ちがうわたしの思う推しはそんなんじゃない
どうしてその程度でファン名乗るの?
そんな軽々しく触れないでほしい

すべて経験談だけど、言動ひとつひとつ嫌いになってしまうので、自分にとって同担が近くにいることは精神衛生上よくない。もともと仲良くしていた友人だとしても嫌いになってしまう。だから、嫌いになる前に、そのコンテンツ自体にはまらないように回避してしまう方がずっと円満なのだ。
最近はずっとそうやって逃げてきた。
でもまあそう上手くいくことがないのは分かってる、巨大コンテンツにいつの間にかずっぷり浸かってて、学生時代の友人もまさか浸かっていた。みんな浸かってた。5人くらいは浸かってる。ああこれ自分の推し発信したくないなあ被ったらどうしようと思いつつ、現状見守っている。まあ今のところコロナのせいで会うことがあまり叶わないので、会えた頃には友人たちはまた別のコンテンツに移動しているかもしれないけど。
巨大コンテンツってむつかしい。

それはまあオタクコンテンツに限った話ではなく。
少しだけ話が変わるけど、一般的に大流行しているものにハマることにも躊躇がある。曲に触れる前に「これは若者に大人気の曲です!」と紹介されてしまえば聴く気さえ失せる。たとえそれがほんとうに素敵な曲であったとしても、そうした煽りをつけられることで、出会えなくなってしまうのだ。「泣ける映画」と銘打たれてしまえば泣けないことに似てるのかもしれない。
流行りに流行った「君の名は」や「虹プロ」や「タピオカ」や「シアーシャツ」や、とにかく流行ってると紹介されてしまったものには、疑心暗鬼から始まってしまうのである。

けれど往々にして、そうしたものに後からハマってしまうこともある。少しだけタイミングがずれた頃、触れてみる。触れて、ハマって、流行っていた意味を理解する。それはまったく悔しくないし、流行に流されて触れたわけでもないから、廃れて名前を聞かなくなってしまったとしても、自分の中ではずっと残ってることもある。
「君の名は」はテレビ放送で見たし、「タピオカ」だって昨日飲んだし、「シアーシャツ」は買って着てみた。
単純なタイムリープでもなくて面白かったし、もちもちしてて美味しくていつまでだって噛んでいられるし、ノースリーブから出た太い二の腕を隠すのに最適だ。流行りだと軽視していたわけでもないけど、ちゃんと、流行ってた意味は理解するし好きにだってなる。こういうことをつらつらと書いていると面倒だな、と思うし、なにより、流行りに惑わされないワタシって素敵でしょって調子乗ってる感がある、否めない。


まあどうしてわたしがこんな話をし始めたかというと、思っていた以上に、YOASOBIの「夜に駆ける」にハマってしまった、というオチです。


凄いね、凄い曲だな。歌も歌詞も声もサウンドもとっても好き。ラストのサビの転調が、音大卒的にはめちゃくちゃツボだった。ついでにと「ハルジオン」や「たぶん」を聴いて、あ、これ好きなタイプのやつだ、ってなった。
わかってる、散々流行りものには触れない的なことを書いてきて、なんだかんだ米津もKing Gnuもヨルシカも好きだし、流行る曲は基本ハマる。ただただダサい話を明かしてしまった。恥ずかしいのでそろそろ終わります。

もし、もしね。
わたしみたいに少しだけひねてて、
サビしか聴いてないとか、
もしそんな人がいたら、
あなたの4分半をちょうだい。
とっても素敵な歌だったんだよ。